難民受入の現状報告③8月


まだまだ暑さが続く中ではございますが、ハンガリーは8月下旬から、朝夕と大分涼しくなってきました。

 

8月上旬、猛暑続きの影響なのか裏の丘が火事になり、家の奥の裏庭まで火が来てしまい、ルバさんのご主人のウラジミールさんにも手伝ってもらい、バケツで火消しリレーをしてみんなでかなりバテ気味でした。

未だに原因不明の丘火事で、猛暑のせいではないかと近所では言っていました。

この火事で、奥の庭のプラムの木が燃えてしまい、今年はプラムの収穫ができませんでした。


こんなハプニングありのお話からではありますが、8月の活動報告書と月次決算報告をさせていただきます。

 

8月物資調達


 

ハンガリーでは、米、砂糖、牛乳など、一部の商品の買い物の制限があり、少しずつ買い出しをして、特に必要な物資として、油、米、などを買い集めている状況です。

 

各スーパーに写真のような貼り紙があります。

(上から、油、米、砂糖、牛乳、鶏肉、鶏がら、鶏モモ肉など制限があり)

●母子2組への物資支援スタート


物資行き渡らない難民の人たちがいないか、孤立している難民はいないかカリタス支援団体へ問い合わせしました。カリタス支援団体も、すべて把握はしていないとのことでした。その中で、母子の2組市営住宅を提供していると伺い、住所を教えていただきました。

 

後日、自宅から1時間の場所にある市営住宅に住んでいるウクライナの難民母子2組のもとへ訪ねていきました。 

2組の母子が住宅支援されている市営住宅(写真)

市営住宅の中で1部屋のみ難民へ市から提供されています


訪ねてみると、部屋には何もありませんでした。
お母さんに話を聞きました。

姉と姉の子どもと一緒に2月25日に逃げてきて、その後子どもが小さいので国境沿いの難民所から出てきました。ようやく冷蔵庫も提供され、ここ1ケ月は小麦粉と水と牛乳とパン、缶詰だけの生活でした。支援金は、ハンガリーに入国してカリタス支援団体から2万フォリントの商品券と服、牛乳、米、小麦粉、水、缶詰。子どもはもう保存食も食べなくなり、どうしたらいいかわかりません。前にチェルノブイリ原発事故があったので、今のウクライナの原発の状況も怖い

 

ウクライナとハンガリーでは物価も違うしハンガリーは高い。もう、じゃがいもも買うお金もないです。まさかこんなに戦争が続くと思いませんでした。2歳になる子どもが、体が熱くても体温計も買えない、熱が何度あるのかどうかもわからない、解熱剤も買えない、この子はずっと便秘をしていて、便秘の薬も買えない。姉は持病の膀胱炎ですが、高くて薬が買えない。もうどうしたらいいか」と私の前で泣いていました。

 インターネットもなくて、ウクライナにいる家族に連絡するのも、子どもたちを連れてスーパーまで歩いて、フリーWi-Fiを探して電話している状態だそうです。 

ウクライナで小さな家だけど、庭もあり普通の生活をしていたのに、なんでこんな生活になってしまって、これからのこと考えると不安でどうしようもない。」と泣き叫んでおりました。

 

私は、この状況を聞いて言葉を失い、どんな言葉をかけてあげたらいいか、どう答えてあげたらいいか、私も避難者の経験がありますが、国内での避難と国外に出ての避難ではあまりにも違いすぎて数秒間しばらく言葉が出ませんでした。 

 

とりあえず、子どもたちに食べさせたいものと必要な物を聞いて(洗濯洗剤、食器洗剤、卵、肉、牛乳、ソーセージ、そば粉、野菜、ヨーグルトなど)急いでスーパーへ行き、物資提供しました。


母親は、「私たちに神が下りてきたよう、日本の皆さん、本当にありがとうございます、本当にありがとうございます、感謝でいっぱいです」と何度も何度もお礼を言っておりました。

 

「私の姉が、ようやくブダペストで仕事が決まったので、その給料が入るまでお金がないんです。私は、姉の子どもと自分の子どもを面倒みないといけないので仕事はできません。住宅支援の家賃補助もあと1ケ月半で終わります。1ケ月半後は、ここの市営住宅の家賃を支払わないといけなくて、払わないと出ていかなくてはいけません」とおっしゃっておられました。今現在の生活がとても厳しい状況にあり、私は、姉妹母子2組の通い支援をすることにしました。

 

2組の姉妹母子家族は、二重国籍の為(ハンガリーとウクライナ)、ハンガリーでの難民支援金が受けらないとのとこ。『ハンガリー国籍を持っているから、避難してきてもハンガリーで働けるだろう』とハンガリー国の判断と思いますけど、避難してすぐには自立し、他国での生活の立て直しには時間がかかると私自身も強く痛感しております。

名前と顔は掲載しないでくださいとのことで、写真を撮らせていただきました。

支援で生活しているのを見られたくないとのことで、皆様ご理解の程よろしくお願いいたします。

1週間後再訪問

私は、今すぐ必要な子どもたちの薬代、体温計、オムツ代、家の中で使えるようにと通信費、その他必要な物資を買う為、現金で支援をする判断をしました。

とにかく何もない現状を見て、現金なら何でも必要な物を買えると思い、支援金を渡しに行きました。

その他に、部屋に絵本も何もない子どもたちにと、私が、少しずつフリマで買い集めていた幼児絵本など約30冊提供しました。ぬいぐるみは、私の子どもたちが使っていたお下がりですけど、とても笑顔で喜んでくれました。

上記の写真は、支援金を母子2組へ渡しに。子どもたちに絵本、ぬいぐるみを提供。

 

2歳の子は、二重国籍でハンガリー語が話せますので、喜んで絵本を見て話してくれました。

まだ生活が不安定なので、お姉さんの子は学校に通っていないように感じました。次回お話を伺おうと思っております。インターネット、携帯電話が使えるようになれば、いつでも私と連絡を取り合いましょうと約束をしてきました。(この日は、行く前に何度も何度も電話したのですが、通話できない状態でした。)

母子で孤立することのないように、今後も通い支援で、ひとりひとりの難民に寄り添って支援していきたいと思っております。


私は、この度の母子2組の支援をして感じたことは、11年前の震災時、私の下の娘が2歳でしたので、同じ月齢を持つ親として、自分自身と重なるところがありました。

 

〇小さな子を持ちながら他の地域での避難生活(私)=他国での避難生活(姉妹母子)、〇公的支援が受けられなかったこと=二重国籍で難民支援金が受けられない。〇ウクライナの原発への不安=福島原発の放射能への不安など。

四日市で避難生活をしていた時のことを走馬灯のように思い出しました。最初にプロジェクトで掲げた「恩のバトンリレー」が、今現実に現地でできていることに改めてご支援してくださった方々へお礼を申し上げます。

私が、四日市で皆さんに助けていただき、孤立することなく地域に馴染めたことを、今度は私がここハンガリーで、カリタス支援団体、ハンガリーの家族支援団体と連携を取りながらこの姉妹母子家族が孤立しないように見守って支援していきたいと思っております。

私が以前、四日市で避難生活をしていた時、サポートしていただいた木田さん、浜中さん、四日市教会の皆様をはじめ、友人や知人が、今もこのプロジェクトをサポートしてくださっています。そして、クラウドファンディングでウクライナとハンガリーを結ぶ難民支援にご賛同していただいたご支援者の皆様、このように難民支援ができることに心から感謝申し上げます。

 

これからも、ウクライナ難民の人たちへ物資や支援金を直接手渡せられること、このような手を差し伸べる支援ができることに私は、ここハンガリーに来た意味があると今とても強く感じております。ご支援者の皆様本当にありがとうございます。

これからも、ご支援者の皆様のご支援金が、直接ウクライナ難民の手に行き渡られるように、顔の見える支援をがんばって活動して参りますので応援よろしくお願いいたします。

●受入支援の様子8月


【ルパさんご夫婦月1回の診察】

近くの診療所へ診察に同行し、当日中に薬局へ取りに行きました。
皆様のご支援のおかげで、医療翻訳の診断書と障害者手帳をもとに、今月からウクライナでしていた治療ができるようになり、ルバさんもしくはウラジミールさんが注射器でアンプル(栄養剤)を打てるようになりました。
心からご支援者様の皆様に感謝申し上げます。ルバさんも、「日本の皆さんありがとうございます、助かります」と申しておりました。

※診断書と障害者手帳の医療翻訳代を8月の予備費から計上させていただきました。

【朝のマーケットへ同行】

 

 

ご夫婦は、3月28日からの避難で精神的にも疲れている様子が伺えたので、気分転換にと朝のマーケットへ同行しました。

「強い日差しが出る前でしたので、ゆっくりできました。ありがとうございます。」と申しておりました。

※買い物など先月同様常に同行しています。

【パーリンカ(洋酒)、料理酒作り】

毎年この時期になると、夫は庭のくだものでパーリンカ、料理酒作りをしています。

蒸留所の業者に出す前の作業を、お話しながら夕方から毎日ように手伝ってくれました。

ウクライナ語、ハンガリー語、日本語交えながらの会話でも心の気持ちが通じ合えばお互いに理解できます。私たちに「いつもありがとう」と、ルバさんが庭のフルーツでたくさんジャムを作ってくださいました。

8月活動を終えて


この物価高の中での難民の人たちの生活は、増々厳しい状況にあると痛感しました。

そして、いろいろな難民支援金の受け取りに制限があり、ハンガリーの難民支援金が受け取れない家族がいることに心を痛めております。 

ルバさんご夫婦も、ウクライナの年金を受け取っているので、ハンガリーの難民支援金は受け取れません。

何度も何度も市役所に行きましたが、同じことの繰り返しで、年金支給者は受け取れないとの回答。

物価も紙幣価値も違うのに、ウクライナの人たちの避難生活は苦しいばかりです。

この戦争でウクライナの自宅に帰れないのに、何とか隣国で支援の輪がもっともっと広がっていけたらと強く感じた8月の支援活動でした。

私たちのプロジェクトとしてできること、そしてハンガリーの各支援団体ができることとそれぞれ横のつながりで、協力できたらと強く願うばかりです。

私たちからも、他の家族支援団体などにアクションかけていくようにしたいと思っています。

報告書内の住宅受け入れのご夫婦の名前、写真、プライベートのお話の内容に関して

は、ご本人様の承諾を得て公表しております。

姉妹母子の難民に関しましては、お顔を出さずに写真、プライベートのお話の内容に承諾を得て公表しております。

ご支援者の皆様、今後とも最後まで応援よろしくお願いいたします。

プロジェクト実行者  鈴木 久美